1F フロアテーマ「第一章 天主堂ものがたり」

2. 大浦天主堂と二十六聖人

正面にある建設当初の復元模型には3つの尖塔に金色の十字架が輝いています。正面には日本人にも解るように「天主堂」の文字が書かれています。創建当時の図・絵は、2007年に「パリ外国人宣教会本部」で発見された設計図の一部です。大浦天主堂建設に奔走したプティジャン神父(『各地に広がる信徒発見』のコーナーに詳細説明)が、建設資金の工面を願い出た手紙に同封されたものとみられ、完成後の姿とよく似ています。そして隣にあるのは、豊臣秀吉が宣教師たちの処刑を命じるきっかけとなったと言われる「サン・フェリペ号事件」当時の「大航海時代」に使われていたスペインガレオン船の模型です。
このコーナーで「大浦天主堂」建設当時に思いを巡らせ、「二十六聖人」を保護者として仰ぐ教会の価値を肌で感じてください。 ※ 殉教した宣教師やイエズス会修道士、信者ら26名は、1862年聖人に列せられました。

3. 禁教250年

キリシタン側からみた禁教

指導する「神父」が一人もいなくなった時代でも、密かに信仰を続ける「潜伏キリシタン」がいました。その組織は、「帳方」・「水方」・「聞役」からなり、信仰を伝承しました。また、観音像を聖母マリアに見立てた「マリア観音」や「納戸神(聖画)」、役人の目を逃れての移住等の取り組みで、密かに祈りの生活を続けました。

徳川幕府から見た禁教

1637年の「島原・天草の乱」の後、これまでのキリスト教の取締を強化し厳しくしました。「宗門改め」を徹底するため、キリスト像を踏ませる「絵踏み」や、「檀家制度」、信者を探させる「告訴賞金制」を実施しました。

4. 信徒発見

1865年3月17日は、宗教史上の奇跡と呼ばれる「信徒発見」の日で、ここ大浦天主堂はその舞台となった場所です。
「ここにおります私共は、全部あなた様と同じ心でございます。浦上では、殆ど全部の人たちが私たちと同じ心を持っております」こうして浦上のキリシタンは、250年に渡って待ち望んでいた「神父」との出会いを実現しました。この後噂は広まり、密かに各地で信仰を続けていたキリシタン組織の人たちが大浦天主堂を訪れます。
しかし、当時はまだ「宗教の自由」が認められてはいませんでした。役人が浦上にあった「秘密礼拝堂」の一つに踏み込み、その後他の礼拝堂にも踏み込んで68人を捕らえました。その後も迫害が続き、萩、津和野、福山などに流配され、拷問や苦役に従事させられました。1873年「禁教の高札」は撤去され、約250年におよぶ禁教時代は幕を閉じます。

5.各地に広がる信徒発見

パリ外国宣教会

この時代、日本での布教を託されたのがフランスに本部を置く「パリ外国宣教会」の神父様方でした。長崎にも51名の司教、司祭等の方々が訪れ、長崎での布教活動の傍ら、建設・保健等の新たな西洋文化を紹介し地域の殖産活動に貢献しました。
パリ外国宣教会は、フランソワ・パリュー神父によって海外宣教を行うために1653年に設立されました。1664年には教皇アレクサンドル7世により認可されています。
17世紀末に成文化されたパリ外国宣教会の会則では、「それ(現地人司祭養成の学校設置)が短期間に教会を組織できる唯一の方法である。」として、現地司祭の育成に努めました。アジアに派遣した宣教師は、1817~1850年には281人、その後の50年間に1940人が派遣されました。

日本の開国と再宣教

ローマ教皇庁は、パリ外国宣教会に日本の再宣教を託しました。
初代代区長に任命されたフォルカード司教は長崎港の入り口まで来ましたが上陸が許可されず、1859年、禁教から250年ぶりに日本の地を踏んだカトリックの宣教師は、ジラール神父でした。次いで、フューレ神父とプティジャン神父が派遣され、プティジャン神父は、1865年に「大浦天主堂」を完成させ、翌年日本の使徒座代理区長(総責任者)に任命されました。
「信教の自由」を明記した明治憲法が公布されると、カトリック信者は大きく増加し4万人を超えます。そして、流配から戻った浦上の信者たちも1914年に東洋一の大聖堂『浦上天主堂』を完成させました。この他、県内各地に木造や西洋風の煉瓦造りの教会が建設され地元の信者の人は、食事を倹約し、自らが工事に携わり教会建設に取り組みました。

6. 大浦天主堂と周辺地区

大浦天主堂は、当初外国人を対象とする建物であったので、「居留地(大浦川を挟んだ「東山手」「南山手地区」地域」(外国人が住める場所)に建設される予定でしたが、既にその地域は満杯になっていて、「天主堂」建設の余地はありませんでした。このため、隣接するこの地に建設されました。
小高いこの場所は「二十六聖人殉教地」も見渡せ、そして外国船の出入りも見える閑静で眺望の良い場所でした。
居留地内ではない場所なので、教会の近くには、入り口手前に「お寺(妙行寺)」があり、さらに左手奥に30m程行くと「神社(大浦諏訪神社)」があります。「教会・神社・寺」の3つの宗教施設が半径30m以内にあるのは珍しいと言われています。