大浦天主堂の収蔵品の中に、2枚の大型の油絵があります。
ひとつは主祭壇の右側壁上部に掲げられた《日本二十六聖人殉教図》、もうひとつは当博物館に展示中の《長崎の元和の大殉教図》です。
《長崎の元和の大殉教図》は2017年まで大浦天主堂内に掲げられていましたが、堂内の修復・整備を機会に、この絵画の修復も行われ、その後2018年4月に当博物館が開館するにあたり、展示されることとなりました。

19世紀にヨーロッパで制作された大規模な油絵であるこれらの作品は、初代日本司教であるベルナール・プティジャン神父が、19世紀の日本における布教の拠点であった大浦天主堂を飾るために発注したと推測されています。
そのような目的で制作された作品であることから、鑑賞や調査の対象とされる機会がほとんどありませんでした。

本作品の修復作業は、当館が開館する以前の2017年に行われており、本格的な調査は博物館開館後の2018年4月以降に進められました。
また、開館から4年が経った2022年は、《長崎の元和の大殉教図》の主題である元和の大殉教400周年にあたり、当館において元和の大殉教の顕彰事業に取り組み、企画展を開催いたしました。
信仰のあかし-キリシタンの試練と栄光
以上の経過により、大浦天主堂内に掲げられていた《長崎の元和の大殉教図》を近い距離から実見することが可能になり、さらに元和の大殉教400周年を迎えるにあたり、関連する展示資料として注目を浴びました。

このコラムでは、《長崎の元和の大殉教図》と、それに関連して《日本二十六聖人殉教図》についてのエピソードをいくつかご紹介いたします。

作品の基本情報

《日本二十六聖人殉教図》
技法:油彩
サイズ:P300号(縦1970mm×横2910mm)
制作年:1869年
画家:セシル・マリー=トーレル(C.Thorel)

《長崎の元和の大殉教図》
技法:油彩
サイズ:P300号
制作年:1870年
画家:セシル・マリー=トーレル(C.Thorel)

以上は、現在明らかになっている、それぞれの絵画についての基本情報です。これらの情報を踏まえて、絵画の注文・制作年・画家について記述していきます。

プティジャン神父は日本で活動した24年のあいだに、3回にわたってヨーロッパを訪れています。当時の書簡やいくつかの文献から、プティジャン神父が、聖堂を教会の保護者である日本二十六聖人の殉教の様子を描いた絵画で飾りたいという考えをもっていたことが窺えます。そして、第1回目の渡欧である1867年末から1868年の滞在中に絵画の依頼、または発注をしたと推測されています。
その元となる、いくつかの記述を引用します。

長崎の教会に飾る二六殉教者の処刑の絵の作成のために、彼は数日を費して画家を求め、・・・

日本キリスト教復活史353p フランシスク・マルナス著

司教はこの機会に、二六聖人の殉教図を描く画家を探した。司教はこの絵画を長崎の二六聖殉教者聖堂に掲げようと思ったのである。

プティジャン司教 キリシタン復活の父 江口源一編集(Mgr. Petitjean, 1829-1884, et la résurrection Catholique du Japon au XIXe siècle,Jean-Baptiste Chaillet)

長崎の教会の保護者である日本二十六聖人の絵を容易な条件で描いてくれる画家をパリで見つけてくれませんか。もし見つけてくださるなら、私がパリに到着したときに、主題と寸法の取り決めを行うでしょう。私はローマで殉教時の聖人の姿を描いたものをいくつか見ましたが、どれも完全なものではなく、イエズス会、もしくはフランシスコ会の聖人たちや、恐ろしい風刺画のような処刑人の姿しか描かれていません。私には費用をかけずに歴史的で完全な主題を制作する方法があるような気がしています。私がとりわけ望むのは、善なる主が栄光の犠牲のうちに結びつけられたものを、私たちの信徒が取り戻した崇敬において分断しないことです。

1868年2月 パリ外国宣教会宛ての書簡

《日本二十六聖人殉教図》には、画家の署名とともに「1869」の文字が認められることから、この絵の完成は1869年と考えられます。さらに、これらの文献等により、絵の発注は1867年から1868年のヨーロッパ滞在期間中に行われた可能性が高いとみられます。

この第1回目の渡欧の時期、長崎では「浦上四番崩れ」と呼ばれる、大規模なキリシタン捕縛・迫害事件が起こっていました。「浦上四番崩れ」に至るまでには1865年3月17日の信徒発見が大いにかかわっており、プティジャン神父は信徒発見以降の教会と信徒との交わりが、迫害を招く要因になったのではないかとの不安を抱いていたと想像することができます。
このときの渡欧の目的は、ローマ教皇庁に「浦上四番崩れ」に関する日本の事情を説明するためでした。
プティジャン神父はそのような困難と苦境の中で、 教会の保護者である日本二十六聖人の殉教図を聖堂に掲げたいと考えたのかもしれません。

現在、これら2枚の作品は同画家によるものであることが明らかとなっていますが、作品に関する文書等の文字情報はほとんど残されていないため、長い間画家や制作時期などに関しては不明な点が多くありました。
その理由は、2枚の油絵が教会を飾る目的で依頼・制作され、完成後はそれぞれ聖堂内部の側壁の高部に掲げられていたためでした。
《日本二十六聖人殉教図》には「C.Thorel 1869」のサインがあり、過去の文献等ではイタリア・フィレンツェの女流画家による作品であることが伝えられてきました。
また、《長崎の元和の大殉教図》については、画面に「1870」という文字は確認できるものの、画家の署名が不明瞭であるために、作者不詳とする資料も存在しています。

《長崎の元和の大殉教図》修復作業時の画面洗浄、赤外線照射及び色相・彩度の調整により、本作品にも《日本二十六聖人殉教図》と同じ「C.Thorel」の文字が確認でき、これにより2枚の絵の画家の同定に至りました。

その後の調査研究の過程において、「C.Thorel」はセシル・マリー=トーレルという画家であるとの指摘を受け、さらにトーレルは(女性画家であるが)フランス人であることも明らかになりました。
これまでの情報のうち、イタリア・フィレンツェの画家という情報は誤って伝えられていたものと考えられます。

2017年から2018年にかけて《長崎の元和の大殉教図》の修復・調査が行われたこと、さらに2022年の元和の大殉教400周年顕彰事業として当館で実施した調査・研究に加え多方面からの教示を得られたことで、これまで不明だった点を明らかにすることができました。
《日本二十六聖人殉教図》及び《長崎の元和の大殉教図》の2枚の油絵は、対をなして大浦天主堂と長崎、それから日本のカトリック教会の信仰を150年にわたって補助してきた、重要な存在といえます。

大浦天主堂が収蔵するこの二つの作品の情報をより多くの方に知っていただくとともに、多方面からの研究調査等が、 殉教者の記念とともに継続されることを期待しています。

元和の大殉教 400周年 関連情報(カトリック中央協議会ホームページ)
「元和の大殉教」400周年記念祭
大浦天主堂キリシタン博物館蔵「元和の殉教図」