旧羅典神学校

旧羅典神学校

信徒発見後、プティジャン神父は司祭館の屋根裏に隠し部屋を造り、日本人神学生の育成に着手しました。浦上四番崩れが起こり神学生にも危険が迫ると、マレー半島のペナン神学校へと避難し游学、禁教が解除されて後に戻り、1875年「長崎公教神学校」が開設されました。校舎はド・ロ神父により設計されています。
当時はラテン語でミサがあげられており、授業もラテン語で行われていました。このため、通称「羅典神学校」と呼ばれていました。1882年に最初の神学生3人が卒業して以降、多くの日本人司祭を輩出しました。
堅牢な木造建築で、1972年に国の重要文化財に指定されています。

旧長崎大司教館

旧大司教館

大浦天主堂が建設される前、神父の執務室として司祭館が建てられていました。
1915年に、老朽化のため、現在のものが建てられています。外海地区の主任司祭であったド・ロ神父による設計で、敷地の高低差を巧みに利用したレンガ造り(一部木造)の建物です。完成の前年に、設計したド・ロ神父が建築現場の足場から転落して死去したため、「教会建築の名手」といわれた神父の最後の作品となりました。1959年に、長崎教区が「大司教区」へ昇格すると「大司教館」と呼ばれていましたが、その3年後に司教座聖堂が浦上へと移されたため、以降は「旧長崎大司教館」と呼ばれています。
2011年に、長崎県の有形文化財に指定されています。